あるクリスマスの日、赤帽が姉を届けてくれた(2)

年末のバタバタした時期ではあったものの

なんとか診察をしてもらうことが出来たようにおもう。

 

私は大学時代に失恋からうつになったことがあるので、町の心療内科の雰囲気は知っている。

だからそれほど偏見はなかったけれど、大きな精神病院に行くことには少し緊張と興奮をしたことを覚えている。

 

姉は帰ってきてから寝込んでいて、

時々起きては死ぬとか死なないとか、そんな事で両親を困らせていた。

 

医者は、あなたは統合失調症ですねとも、うつ病ともはっきりは言わなかったので、

とにかくがんばってとかは言わないようにしていたものの、

私はうっすら、これうつ病じゃないなーと

気づいていた。

 

ちなみにこの出来事が起きたのが2005年ごろ、

ほんの3年前まで統合失調症精神分裂病という、なんとも恐ろしい名前だったのだ。

 

 

目を離すことが出来なかったので家族で久しぶりに川の字で寝たこと、

朝起きて、これが夢だったら良かったのになんて、散々な気持ちになったこと

 

なんてったって13年も前だ。

当時の記憶はそれくらいしかない。

 

そして私は逃げるように東京へ出て、

一人暮らしを始めた

 

 

 

 

あるクリスマスの日、赤帽が姉を届けてくれた(1)

姉の発症については、

実はどのタイミングだったのかよくわからない。

姉が中学〜高校の頃には、ちょっとキレやすいというか、繊細過ぎて腫れ物のようになっていたが、両親も私も激しめの反抗期なんだと思っていた。

 

高校を卒業後、デザインの専門学校を中退した姉はしばらくの引きこもりの後、病院の看護助手、マッサージなど人を癒すというような職業に好んでついていた。

 

そんなある日、姉が家を出ると言い出した。

なんでも、就職した横浜市のマッサージ店の寮で一人暮らしを始めるというのだ。

当時、私は大学を卒業したにもかかわらずバイト生活で、姉と2人で実家近くのマンションに住んでいたため、小躍りして喜んだ。

やった!これで姉の小言から解放される!自由だ!

 

夏、父に手伝ってもらって姉は引越していった。

 

…そして、平穏な3ヶ月が過ぎ

クリスマスの日、突然赤帽が届けに来たのだ。

 

お届けものは姉だった。

 

姉は消え入るような声で怖い怖いと呟いていたが、どっちかというと届けた赤帽のおじさんの方がよっぽど気味の悪い思いをした事だろう。

 

とにかく私はガラクタだらけの家財道具と姉を受け取り、代わりに横浜からの送料を赤帽のおじさんに支払い、

そして、日中土方仕事をしに外出している父の代わりに、姉と母を車に乗せて市内の精神病院に連れて行くことになったのだった。

 

 

家族の紹介とブログをはじめた理由

関東ののどかな町でスナック(というか居酒屋)を営む夫婦の間に姉と私は生まれた。

 

姉は統合失調症を発症していて、

ゆるやかに良くなったり、悪くなったりを繰り返している。

 

複雑な気持ちはたくさんあるけれど、

私は東京で一人暮らしなので、多少冷静に姉を見ることができている。と思う。

 

統合失調症について、家族からの視点での情報が少ないように思ったので備忘録として書いてみたい。

 

 

<登場人物>

私(女):

ブログの筆者。

美大出たのち現在はWebの制作会社でディレクター職。趣味は登山とひとり旅。

30代独身…orz 

 

姉:

私の3つ上。ある意味このブログの主人公。

統合失調症。現在既婚。

 

父:

北関東の農家の次男坊。

大人しくて穏やか、趣味は温泉巡り。

だいたい母の尻に敷かれている。

スナックまんぷくでは調理担当。

 

母:

北関東の農家の3女。

とにかくせっかち。悪気はないけど愚痴っぽい。よく言えば天真爛漫。

スナックまんぷくではママさんとしてカラオケから客あしらいまでこなす。

 

たかちゃん:

姉の夫。だいぶお腹が出ている。

趣味はドリフト。